阿岸祐幸 北海道大学名誉教授、医学博士
私たちが放射能泉、特に単純放射能泉といわれる温泉に入浴して、お風呂場に掲げられている分析表を見ると、ほかの塩類温泉と異なり、意味不明の数字や単位、いわくありげな効能書きが記されています。
しかしそのわりには色も匂いもなく、肌触りも普通の湯とそれほど変わりありません。温感もありがたみも、あまり感じられないといったものが多いようです。
しかも、それに追い討ちをかけるように、最近出版された温泉医学の解説書でも、放射能泉の項では、「微量の放射能は人体によい影響を与えるとの説もあるが、科学的根拠は乏しい」とバサリと切り捨てられています。
温泉実用書の類も、たとえば「尿酸を尿から出すので通風の湯という」とありますが、入浴による効果なのか、飲泉の効用なのか、ちょっとわかりません。
かたや、どんな町に行っても、「人工ラドン温泉センター」のような施設があり、からだの芯から温まると信じているお年寄りのファンが結構います。
その昔、なぜか放射能泉からは何か神秘的なエネルギーを発するような感じが広がっていた時代があって、放射能が無くても「ラジウム泉」という看板を掲げた温泉が結構あったようです。
実際、秘湯といわれるいわゆるラジウム温泉場で、昭和の初め頃の墨痕鮮やかな毛筆で書かれた、縦書き漢字の分析表や効能書きが、お風呂場に掲げられているのを見たことがあります。
放射能についての最近の分析結果などがあるかを聞いたところ、「昔から言い伝えられてきているだけで、最近の分析はしていない」という答えが返ってきた経緯があります。
今回からは、「放射能泉」について正しく理解していただけるよう、シリーズで放射能泉の成分や効果について説明していきます、なお、今まで通り、断りのない限り、すべて自然湧出の天然温泉を対象として、科学的に研究されてきた成績の一部を紹介します。
今まで取り扱ってきた塩類泉は+NaイオンやClイオンなどの成分含有量は、mg/kg、ppmといった濃度単位で表します。
しかし、ラドンRnはガス性で、しかも不活性気体なので、含有量の単位はBq(ベクレル)、Ci(キューリー)、Ma(マッヘ)などの放射能単位で表現します。
現在の放射能の単位は、国際単位(SI)系でのベクレルBqです。放射能を発見したベクレルBecquerel AH にちなんで付けられました。1ベクレルは、1秒間に原子核が1個崩壊する場合です。
しかし、現実に温泉場に掲げてある分析表では、古い表示表のキューリーCi、マッヘ単位MacheM.E.で標示している所が少なくありません。ちなみにこれらの単位の換算は、
1Bq=0.027×10-10Ci=0.074 M.E.
です。
「放射能泉」Radioaktiv Wasser(独)、Radioactive spring(英)とは、温泉法や改訂鉱泉分析法の定義によると、
①源泉から採取されるときの泉温が25℃以上あるか、
②温泉水1kg中に溶けているラドンが、74ベクレルBq(=20×10-10キューリーCi=5.5マッヘ単位Mache M.E.)以上、あるいはラジウム塩(Raとして)1×10-8mg以上あるものとなっています。
③また療養泉では、温泉水1kg中に111ベクレル(30×10-10Ci=8.25マッヘ単位)以上あるものとなっています。
「放射能」とは、物質が自ら放射線を放出する性質をいいます。放射線は宇宙から、また地表からは、ウランやラジウムなどの放射性物質含む鉱物からも出ています。
放射能泉に含まれるラドンはガス性で、ラジウムがα線(ヘリウム原子)を放出し、崩壊(正式には壊変といいます)するときにできる元素です。
「ラジウムエマナチオン」あるいは「ラジウムの娘」とも言われます。ラドンはラジウムの子ども(娘)で、エマナチオンとは揮発性物質という意味です。
ラジウムがα線を出して壊変し、その量が半分になる時間(半減期)は1590年もかかります。その娘のラドンの半減期は3.83日です。
ラドンが壊変して次にできるラジウムA(RaA)は、さらに寿命が短い元素で(3.05分)、これがα線を出してラジウムB(RaB)となり、次にラジウムC(RaC)と壊変していき、結局は、安定した鉛になって止ります。
○空気中のラドン
空気中のラドン濃度は、場所、時刻などで違いがありますが、地表面に近い空気のラドン含量は20~300×10-18Ci/cm3です。ラドンの濃度は高度が増すにしたがって急減し、海上の空気では地上の空気よりも少なく、陸地から遠ざかるほど減少します。このことからも、空気中のラドンは地表面から拡散したものといえます。
○地下水のラドン
自然界の湧き水、井戸水、温泉などには、常にラドンが含まれています。
地下の岩石に含まれているラジウムが壊変して、ラドンとなります。そして、地下にしみこんだ雨水や地下水にラドンが溶け込み、その水が地表に出てきたものです。地中のラドンは、ラジウムよりもはるかに水に溶けやすいので、水中のラドンは、水中に含まれているラジウムから生じた量より、ずっと多くなります。
放射能泉は泉温、放射能の強さ、塩類泉との混在の程度で次のように分類されます。
1.単純放射能冷鉱泉
ラドン111Bq/kg(30×10-10Ci/kg,8.25マッヘ単位/kg)以上を含む単純冷鉱泉です。
これはさらに、以下のように分けられます。
①単純弱放射能冷鉱泉
ラドン含有量8.25以上で50マッヘ単位/kg未満のもの
②単純放射能冷鉱泉
ラドン含有量50マッヘ単位/kg以上のもの
2.単純放射能温泉
ラドン含有量が単純冷鉱泉に準ずる単純温泉で、①単純弱放射能温泉、②単純放射能温泉に分けます。
3.含放射能塩類泉
ラドンを療養泉定義の限界値以上を含む塩類泉では、「含弱放射能―○○泉」、または「含放射能○○泉」と泉名の始めに付記します。たとえば、「含放射能―ナトリウム―塩化物泉」とします。
地中でできた温泉水が地表に湧き出てくる途中で、ウランやトリウムの多い岩石を通過すれば、ラジウムやラドンを溶かし込んで放射能泉となります。
日本の放射能泉の多くは、ラドンを多く含んでいます。
岐阜県東南部や中国地方など、西日本地方の花崗岩が多い地域に、ラドン濃度が高い単純放射能泉が多くみられます。この地域の花崗岩は、ウラン・トリウムの含有量がきわめて多くなっています。
花崗岩の岩盤に断層などの割れ目が多かったり、風化が進んで岩石がもろくなったりすると、そこを通過する地下水と岩石が接触する面積が増して、放射性元素を溶かしこむ率が高くなるためと推測されています(「温泉の科学」やませみさんの資料による)。
ところで、東日本にも花崗岩は多く分布していますが、放射能泉は少ないです。これは、西日本の花崗岩は堆積層に起源があり、ウランやラジウムの含有量が多いのが特徴なのに対して、東日本の花崗岩はマグマ起源だからと説明されています。
わが国は火山国で、火山活動の副産物として温泉が誕生してきました。温泉の数、種類、湧出量ともに世界一です。
しかし、ウラン、ラジウム、ラドン、トリウム、トロンなどの放射能に富んでいる温泉は、それほど多くありません。
日本の放射能泉は、泉質が30℃以下の低温で、pHが中性から弱アルカリ性のものが多く、高温泉や酸性のものは少ない傾向があります(表1、やませみさんの資料から)。ラドン泉の温度は、普通の地下水より少し高いものが多く、非常に高温のものはまれです。
この傾向は以下のような原因が考えられます。
日本の大部分の放射能泉では、ラドンよりもラジウムの含有量が少なくなっています。また、ラジウムは地下深いところにある粘土鉱物や沈殿物に吸着し、濃度が高くなっています。
地中深いところでラジウムからラドンが生産され、ラドンを含んだ地下水が岩盤中の長い距離をゆっくりと流れていきます。地下に湧出するときには、水温も下がります。放射能泉が、低温の地下水に多い理由となります。
また、ラドンの半減期は3.825日と短命なので、長い距離を移動している間にラドンがどんどん減り、地表に湧出するまでにラドンがなくなって、普通の単純温泉になってしまう可能性があります。
放射能泉で知られる有馬温泉や増富温泉の特色は、塩分濃度が高いこと(有馬型温泉)。これらの温泉では、ラドンのほかにラジウムやトリウムも含み、高濃度の放射能泉になっています。(世界の高濃度放射能泉 表2、大島良雄さんによる)
ラジウムの起源は、地下深くにある変成岩に由来するとみられています。有馬型温泉でラジウムが多く含まれているのは、炭酸カルシウム(CaCo3)に飽和していることが多いためといわれます。
カルシウムCaとラジウムRaは同属元素で、炭酸ガスと結合して岩石や沈殿物に固定されやすく、岩石と温泉水が飽和していると、その余りが温泉水に含まれるようになると推測されています。
わが国の鉱泉・温泉のラドン含量について測定した成績を、各温泉地の最大値の順に示すと、表3のようになります(野口喜三雄氏)。また、わが国でのラジウム含量の多く見られる温泉は、表4(野口喜三雄氏)で示してあります。